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大阪地方裁判所 昭和29年(ヨ)2650号 決定

申請人 株式会社創元社

被申請人 創元社従業員組合

主文

被申請組合は、申請会社役員及び従前からの従業員(臨時雇矢部敏郎池田武夫を含む)が別紙物件目録表示の事業場(地階食堂として表示された部分を除く)に出入することを実力を以て妨げてはならない。

(注、保証金十万円)

理由

当事者双方の提出した疎明資料により、当裁判所が一応認定した事実関係並びにこれに基く判断の要旨はつぎのとおりである。

一、団体交渉の経過並に争議の推移

申請会社は約三十年の歴史を有する由緒ある出版社(資本金百七十万円)であり、被申請組合(以下単に組合と略称する)は申請会社の従業員二十名のうち十六名を以て組織されている労働組合であるが、申請会社(以下単に会社と略称する)は、業界の不況等のため数千万円の債務を負つて経営上の危機に瀕したので、その打開策につき組合は矢部社長との間に昭和二十九年五月初以来幾度か団体交渉(以下単に団交と略称する)をかさね、その間第一次ストライキ(五月十三日から同月二十二日に至る間)を経て漸く五月二十二日両者間に(一)従業員の犠牲を出さず最後まで労資双方最善の方法を尽くして創元社の再建をはかる。(二)会社はその権限と責任に於いて経営ならびに業務の指揮を行い今後の経営並びに人事労働条件等従業員に重大関係のあることについてはすべてあらかじめ組合と協議する。(三)退職金規定を定めること、起草の具体的なことについては直ちに協議する。との協定が成立した。同年六月に入るや債権者会議も開催されて負債整理の段階に立至り、債権者会議は会社再建の道を選ぶと共に債権者委員会において旧債の猶予を認める代りに社内体制の整備として人員整理を伴う人員構成並びに人件費のわくを三十万円に抑えること等の案を会社側に内示するに至つたので、六月十二日会社は組合に対し組合員四名の整理を含む人員配置案を示し、以来六月二十九日に至る間右整理案並びにこれに関連する退職金等の問題について団交が続けられ、話合いのつかぬままその後団交が一時中絶されていた。然るに、七月十九日再開された団交において、交渉早々会社は突如従来の会社案による被整理者四名に更に八名を加えた組合員十二名の大量抜打解雇を発表して団交の打切を通告する一方休業を宣し、その十二名に対して解雇通知をなすに至つたので、組合は会社側のかかる一方的措置は全く前記協定を踏みにじるものとして激昂、七月下旬以来全印総連の応援を得て強硬に解雇撤回を迫り、漸く八月四日会社はみぎ十二名の解雇を全面的に撤回し、会社組合双方は誠意を以て再建案を検討することを協定するに至つた。

然るに、その後においても会社は七月二十日以来の臨時休業を解かないのみか、非組合員従業員等(従来からの臨時雇である社長の息子の矢部敏郎及び昭和二十九年七月に退職して臨時雇となつた池田武夫を含む)を動員して休業中にも拘らず、仕掛中の印刷製本、注文品の発送等の業務を続行する一方、他方ではみぎ協定に基く再建案につき組合の提示した案は会社側の容れるところとならず、会社側は依然としてさきの十二名に更に一名を加えた大量の組合員整理案を持出し、人件費についても債権者委員会の決定した前記三十万円を下廻る二十万円の線を譲らない。要するに再建案に対する基本的態度として、会社側は大巾な人員整理による経営規模の縮少化を第一義とするのに対して、組合側は人件費の効率的運用、利潤の多い出版種目の重点的採用等による企業建直しの速かなる着手を第一義として人員整理を二の次とするものであつて、その根本的態度に於て両々相譲らないため、回をかさねた団交も停頓し、遂に八月十九日会社は再び団交の打切を宣言し、同日付で組合員十二名に対し解雇通告をなすに至つたものである。ここにおいて、組合は会社の占有使用する別紙目録記載の三階建店舖の地階食堂の部分を拠点として再びストに入る一方、会社側は八月二十一日「休業」の張り紙をはがして「開店」営業を宣言し、その争議の様相は愈々その深刻の度を加えている。

二、争議行為の現況とその適否並に仮処分の必要性

(一)  1 八月二十一日朝矢部社長が非組合員従業員による開業を宣言して執務している間、解雇組の組合員和田正之同川島一充に対し、「君たちはもう解雇したから私物をまとめて直ちに退去されたい」旨命じたところ、憤激した右両名は矢部社長と暫し応酬の末同日午前九時過頃各自身体を以て矢部社長を店舖二階役員室から表口の外に押出し、次で同社長が同店舖裏口から強いて入店しようとするのを再び戸外に突出し裏口を閉してその店舖立入を拒み、

2 同日午前九時四十分頃、組合員等は店舖表口を閉鎖する一方、同店舖裏口の戸を内部から抑え、又は木の棒を突張つて開かないようにして内藤、谷口両取締役及び従業員矢部昭三の店舖立入を拒んだ。

(二)  争議行為の適否

叙上の如き団交の経過に照してみるとき、その間手形不渡により銀行取引停止処分を蒙る等会社側に経理上の逼迫化した点を斟酌に入れてみても、会社側が殊に七月十九日の大量抜打解雇以来とり来つた一連の措置については、前記各協定の精神に反するが如き印象を否み得ないものがあるとはいえ、かかる会社側の措置に対抗して、右の如く、来社している社長を社外に追出したり、来社せんとする社長以下役員非組合員等を社外に閉出して入店を阻止するが如き行為は、店舖への出入に対する各人の自由意思を不当に制約するものであつて、この限りにおいては、明らかに会社の右店舖に対する占有権を不法に侵害するものであり、正当な争議権行使の範囲を逸脱するものであつて、許されないといわなければならない。

(三)  仮処分の必要性について

1  ところで、組合が会社の元来占有使用している前記店舖建物の地階食堂の部分を拠点として右店舖建物内外を自由に交通できる地歩を占めている事実に徴して考えてみると、かかる追出し又は閉出しによる占有侵害行為は、前記八月二十一日の一日だけの出来事として看過するのは早計であつて、かかる占有妨害行為が右店舖のみならず、これと接続して単一の事業場を形成する別紙目録記載の倉庫等にまで拡大して反覆される具体的危険性は現実に継続していると認められるから、本件において会社としては、本件事業場の占有権に基き組合による右同種妨害行為の繰返される危険性を緊急に排除する必要性があるものといわなければならない。

2  被申請人は、(イ)本件社屋は依然として申請会社の占有に属し、現に昭和二十九年九月十三日、申請会社代表者等はトラツクを乗りつけて倉庫内の商品を持ち出しているのであり、(ロ)また、申請人の事業そのものが生産事業と異り電話一本により容易に運営のできる出版事業で、現に申請人は大阪市福島区上福島北一丁目六十八番地旭印刷所に会社事務所を構えて営業しているから本件申請は理由がないものであると主張する。しかし、(イ)なるほど事業場一階コンクリート防火壁以西の部分の各出入口は何れも施錠されており、みぎ施錠の鍵は現在すべて会社側の占有に帰しているが、会社は既に昭和二十九年八月下旬前記のとおり組合に立入を阻止されて以来、事業場全部に対する自由な交通を妨げられてその占有を妨害されているのであつて、同年九月十三日朝矢部社長等三名が一部物件を本件事業場一階倉庫から搬出したのは、たまたま同日朝、折柄第十二号台風警報中で、平素事業場に宿泊監視している組合員が不在の際急遽立入り僅かにリヤカーを以て一部商品を搬出したものに過ぎないから、もとより会社として事業場の完全な占有を有する証左とはならず、この一事によつて前記認定を覆えすことはできない。(ロ)更に会社が現在組合主張の場所に別に事務所を設け、営業中であることも認められるが、会社が右店舖の占有を妨害されるに至つた経緯及び妨害の危険性の現存することは前記のとおりであつて、右事務所開設の直接の契機がやはり組合の違法な実力行使によるものである以上、会社が取引の必要に迫られて臨時に経営の場所を他に求め得たからといつて本件店舖につき仮処分の必要性を欠くに至つたものと断ずるのは妥当でない。

三、以上の次第で、本件争議行為に至るまでの団交の経過並びに争議の推移その他前記認定の諸般の事情を考慮して、争議行為の現段階に於ては、申請会社の申請は主文表示の程度にて当面その保全目的を達するものと認め、主文のとおり決定する。

(裁判官 坂速雄 木下忠良 園部秀信)

(別紙目録省略)

【参考資料】

仮処分命令申請

申請人 株式会社創元社

被申請人 創元社従業員組合

立入禁止等仮処分命令申請事件

申請の趣旨

一、別紙目録記載の物件に対する申請人及び被申請人の占有を解き、申請人の委任する執行吏にこれが保管を命ずる。

従つて何人と雖も次項に定める場合のほか執行吏の許諾を得ずして右物件内に立入ることはできない。

二、執行吏は右物件を自ら保管し、又は申請人の申出あるときは申請人をしてこれを保管せしめることができる。

三、執行吏は前各項の趣旨を適当な方法で公示せよ。

との御裁判を求める。

申請の理由

一、申請人会社は代表者矢部良作が凡そ三十年前創業したもので昭和十四年株式会社組織となし肩書地に本店を置いて出版を業とする会社である。

被申請人組合は申請人の従業員二十名中十六名を以て組織されている労働組合である。

二、申請人会社は業態悪化して経営苦境に陥つたので、その建直しの為め本年五月初旬被申請組合に対して人員整理をはかつたところ、組合は労働協約の即時締結を要求して五月十三日からストライキに入り社屋を占拠して会社代表取締役以外の出入を拒否し、非組合員による会社業務の運営も妨げられる状態であつたので、会社から立入禁止等の仮処分申請をしたが(御庁昭和二九年(ヨ)一五九九号)五月二十二日に至り組合はストライキを解いて就業したので会社は仮処分申請を取下げた。

二、その後会社は債権者会議にはかりながら数回にわたり人員整理についての協議を重ねたが妥結に至らず、此の間手形の不渡を出して予備警戒となり六月分給料遅配等の事態も生じ経営は益々苦しくなつたので、七月十九日団体交渉の上従業員十二名(内嘱託一名)に対して解雇を通告した。翌二十日から緊急部門を除いて休業した。

四、その七月二十二日二十九日八月二日の団体交渉に於て組合は繰返し解雇の撤回を求めたが、八月二日の交渉に於て組合に於て創元社再建案を作り会社は誠意を以てその審議に当る旨協定されたが、八月四日の団体交渉に於て組合は右協定を覆えして先ず解雇の撤回を要求し撤回の上で再建案についての具体的協議に入ることを主張し、協議は壁に突き当つたので会社は再建案についての真摯な協議を期待し、円満な妥結を意図してさきの解雇を撤回した。

五、右撤回以後八月五日、六日、七日、九日、十一日、十二日、十七日、十八日、十九日の九回にわたり協議を重ねたが、組合からは講習会の開催、自費出版の引受等断片的な意見が出るのみでまとまつた再建案は出ず、全員雇用継続を強調し妥結の見透しが立たないので已むなく会社は八月十九日団体交渉を打切り、同二十日十二名(うち一名は七月十九日の解雇者と入れかえ)に対して解雇通告を内容証明郵便をもつて発送した。さきの解雇通告の際は予告手当のみの支給であつたが、今回は債権者委員会の諒解を得て退職金を支給することにした(退職金規定は存しない)。

六、申請会社は資本金百七拾万円の会社であるが、負債凡そ四千万円を負担し、五月中旬以来債権者会議を重ね、七月九日の会議に於て債務一年間棚上げの決議を得て、再建に対する債権者の協力態勢は一応出来上つたが、八月五日期日の手形不渡の為め銀行取引停止の事態に立至つて居り本件人員整理は洵に已むを得ない事情に基くものである。

七、然るに八月二十日代表取締役矢部良作は社屋に入るを得たが、取締役田代信幸は組合員の為め社屋に入ることを拒否され、組合員は社屋を占拠し、右矢部良作執務中の部屋に入つて労働歌を高唱して電話通話を妨げ、或は矢部が椅子を立つや組合員がその椅子に腰かけて矢部が再びその椅子に座ることを妨げ、或は矢部の机の上に腰かける等の行動に出て、業務の妨害を為した。かくの如き状態では申請会社の業務の円滑な運営は到底期待し得べくもなく、瀕死の状態ともいうべき申請会社の存続は極めて危殆に陥るので、申請会社は妨害排除の本訴を提起すべく準備中であるが事緊急を要するので本件仮処分命令を求める次第である。

附属書類〈省略〉

昭和二十九年八月二十一日

右申請代理人弁護士 角恒三 外一名

大阪地方裁判所 御中

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